小学校の頃、週末になるといつもじいちゃんのウチに弟と泊まっていた。
じいちゃんは町医者で、小さな病院を経営していた。
夏休みともなるとほとんどそこで過ごしたものだ。
看護士さんや、患者さん、色んな人が病院を出入りする。
一般的に想像する綺麗なしっかりした病院ではなく、生活感の溢れた場所だった。
じいちゃんは結構アウトローな人で、オレはブラックジャックっぽいなあ、と尊敬していた。
後から聞くと、お金の無い人や訳ありの患者さんもよく引き受けて、その界隈では駆け込み寺のように有名だったようだ。
水商売のおねえさん、チンピラ的なお兄さん、怪しいおじさん、おばさん...
常にそんな人達にかわいがってもらい、人見知りをしないという素晴らしい性格にしてもらった。
じいちゃんはオレをよく診察室や手術室に呼んだ。
子供ながらにマスクやらをしたりして、横で見ていた。
ある時は出産時。
ある時は摘出手術。
じいちゃんはよくオレに仕事を与えた。
患者さんの手を握る事だった。
こうやって目の前で人が生まれたり、死んだりすることが普通に起きるのか...
だから悔いのないようにオレはいつもしっかりと患者さんの手を握って頑張っていた。
人は生まれて、いつか死ぬ。
幼いながらも生死に対する観念がすでに自分の中に出来ていた気がする。
じいちゃんはオレと弟に般若心経を教えた。
病院には清掃をしているウタちゃんというおばあさんがいた。
ウタちゃんは若い頃、芸者さんをしていて、修羅場の人生をくぐり抜けてきた人だ。
なので、おばあさんと言えども、ワルな一面を持っていて、オレはそこがとても好きだった。
一言一言が人生の経験値を物語っていた。
掃除が終わったあと、よく休憩室で両切りの缶ピースをうまそうに吸っていた。
ウタちゃんはじいちゃんに「早死にしてもしらんど!!」とよく怒られていた。
ある日、ウタちゃんが体調を壊して手術する事になった。
小学生ながら、なぜか冷静な部分もあり、もしかしたら、ウタちゃん、もう駄目かもな、と思った。オレはとにかくウタちゃんの手をしっかり握り続けた。
手術は無事に終わり、ウタちゃんはまた掃除に精をだしていた。
ある日、ウタちゃんはオレを休憩室に呼んだ。
「手を握ってくれたから助かったんやで」と言われた。
そしてタバコに火をつけて、オレに差し出した。
「ほんまに一服だけさしたげる。内緒やで」
じいちゃんは戦争に行った人だった。
夜になり、布団に入ると、横に寝ているじいちゃんとばあちゃんはよく戦争の話をしてくれた。
学校では教えてくれない事がいっぱい聞けた。
軍医をしていて、シベリアにも行ったと聞いた。
終戦を知らずフィリピンに残留していた小野田寛郎将校とは友達だったようだ。
じいちゃんは最後に軍歌を口ずさみ、消灯ラッパを真似した。
ばあちゃんがその後に電気を消した。
電気が消えた後、ほんま今は平和な時代でええんやで、と二人はよく言っていた。
今でも話やメロディが頭に残っている。
その夏も平和な夏休みを過ごしたなあ。